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インド学を学ぶ院生(だった人)が日々の出来事を書く日記です。ちなみに、インドに行ったことはありません。
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言う


さっきテレビでうちの学校を「超一流」と言っていた。

ほぼでまかせに違いないが

MO○を見てもそう思うのかな。

まぁいい。

4人の家族連れが案内板を見てけだるげにわくわくしていたが

それを見て申し訳なくなるのは別に卑屈とかそういう類ではない。








居眠りしていたらキーボードを押さえていたらしく

眼が覚めたら「言い言い言い言いいい言い言い」が無限に続いていて

「言い」と「いい」の組み合わせがちょっとした模様を形成していた。

机の上はGeldnerやらAiGやらEWAやらで腕の置き場もなく

A5の紙はテキストと鉛筆書きのメモで埋められていて

真っ白な頭の中と好対照を成していて。








気まずいやりとりの後再びパソコンに向かったら

知らぬ間に画面が愚痴で埋まっていた。

ざっと100行ほど一行置きに並べられていたのは

約30行の嫌悪感と約70行の罪悪感とで

不意にサンボマスターの『手紙』という曲を思い出した。










思い出すといえば。










「共鳴せよ」という意味のラテン語を思い出したが

これが見事なまでに「共鳴」していない。

それどころかもう音すら発しない。

「こういうもの」が「こういうもの」のままだとしたら

私はむしろそれに意義を認めない。

これは所謂「諦念」なのか

それともただの「諦め」なのか。

自信とか虚栄心を満足させるためならば

それのどこに必要性があるというのか。

理想や願望の押し付け合いと

妥協と憐憫と優越感と劣等感と

過剰な期待と幻滅と

あとは若干の「共鳴」感と。

だいたい「したつもり」だったが

全部がそうだったわけではないと信じている。

信じてはいるが

どうだったのだろう。









結局のところ私は1つのモチーフを追いかけていて

モチーフのほうはどこまでも私を追いかけてくる。

まるで小フーガト短調みたいに

少しずつ形を変えるが本質は全く同じものだ。

3歩進むたびに3.5歩後退していて

余計なはずの0.5歩が

実は極めて重大だったりする。













手紙は二度と届かない。













とうとう言葉が現実を追い越したらしい。

私は現実のほうを取りたい。









適当な「名付け」にはこりごりだ。

同じく「名付け」によってしか維持できないようなものにもこりごりだ。

どうやらそれに気付く年齢になったらしい。

気付くべき適切な年齢か否かは知らないが

ともかく。










「言い」とは示唆に富むな。

bahul;a-な;s;arman-が欲しい。

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